これらに続きまして、本日は第3弾。
家一軒分のモノを見直し、一気に大量処分してみてわかったことについてのお話です。
■使わないモノは劣化するという事実
■モノを処分するにも費用がかかる現実
■モノの処分にもタイミングがあるということ
このようなことは、私が今まで読んだ数々の本にも書いてあるのですが、実際に体験してみると頭で理解するのとは桁違い。モノに対してこれまでとは大きく変わった実感がありました。そこで、これからモノとどう付き合って行くか、私の指針について挙げてみようと思います。
■予備は最低限にすること。
ものの管理が出来ない人の特徴として、ものの把握ができないことがよく挙げられるのですが、案外私はモノの把握も、収納も得意。今自分が何をどれだけ持っているのか割と詳細に把握しています。だからこそと言いますか、むしろ予備がないことに非常に不安を感じます。それに消耗品が無くなるたびに買い物しなきゃならないのも面倒。買い物はまとめて一度に済ませたい性分です。
ところが、この予備が曲者だと思いました。人は成長という名の変化をするからです。ある時まとめ買いしたものが、好みが変わったとか体質に合わなくなったなどの理由で不必要になることもあります。ですので、私はそこを折り合いをつけることを学びました。
もし不要になった時に潔く処分できるくらいの予備しか持たない。
と、この基準を設けることにしました。無くなる不安を感じるのも嫌です。かと言って大量に持ちすぎてもいざ処分する時に痛すぎる。だからこその折衷案です。
つまり、予備は保険。
モノの予備は掛け捨ての保険料だと考えることにしました。予備がないことによって感じる不安を、予備という安心料を支払って解消するのです。保険はあればいざという時安心ですし、使わなければ役目も終了と割り切ることが出来ます。もったいないから嫌々使う、そんなネガティブな感情を抱かずに済みます。今のところ、私はこの案をかなり気に入っています。
以前からこのブログをお読み頂いている方はご存知だと思いますが、私はちょっと、いや、かなり(笑)繊細なところがあるので(→記事)、不安の感じ方が普通の方が感じるよりも強めです。ですから自分の心地よさを優先することにしたというわけ。
ものの本には消耗品は無くなるまで買いにいかない、予備は持たないなどの達人もいらっしゃいますが、今現在の私には到底無理です。その方法が可能な方は、是非挑戦して下さい。モノを少なく持つのに非常に有効らしいですよ。
■使い切ることを念頭におく
消耗品ももちろんそうですが、消耗品とは言い難いような衣類やファッション小物、インテリア小物などを購入する時には使い切れるかと考えるようにします。また大きいものほど処分する時に費用がかかるので、より慎重になる必要があるでしょう。(家を売却する時に不動産仲介業者にいくら払うかご存知ですか? パーセンテージじゃなくて、実際の価格を知ると愕然としますよ、笑)
私は物持ちが良い方なので、モノの消耗が少ないです。また持ち物の量も多めなせいか、順繰りに使って行くと買替えが必要になる場面もあまりありませんでした。ですから、十分に使ったと思う前に飽きたり、時代にそぐわなくなったりすることの方が断然多かったのです。が、これからの私の寿命を考えると(→記事)、たくさんモノを持って順繰り使って行くというよりも、本当に気に入ったものだけを使うことの方が価値があると思いました。
またブランド品などは、不要になった時に売却することを考えて、より売りやすい人気のあるものを買うという考え方もあるかもしれませんが、その考え方に私は賛成出来ません。
そこそこ気に入ったものと、心から気に入ったもの。使うときにより幸せを感じるのはどちらか、それは明らかですから。
■買うのはとびきり気に入ったものだけ
上の最後の一文にも通じるのですが、モノ余りの現代では持っていないものなんてほとんどありません。そして世の中には素敵なものであふれています。ですから、目新しさを求めてついつい新しい何かが欲しくなってしまいます。で、そこそこ素敵なもので手を打ってしまっていたというのが、これまでの私でした。繰り返しになりますが、自分に残された時間を鑑みると、最早そこそこのモノで満足している場合ではありません。自分基準のとびきり気に入ったものを使う許可と権利を、私たちはそれぞれ持っているはず。なので、自分が使ってうれしくなるものにお金をかける。ちょっと背伸びしすぎかな?と思うものだったとしても、本当に使いたかったら自分に許可しちゃいます。ただしそこそこ素敵レベルだったらそれはスルー。これを徹底していくと日々の満足感が上がるように感じます。
■不快なことを避けるためにお金を使う
快いことを感じたくてお金を使うことが一般的だと思います。私も以前はそうでしたが、今まで目を向けてこなかった不快なことに焦点をあてることにしました。
どういうことかと言いますと…。人は足りないものを探すのはすごく上手で、それは本能みたいなものです。人と比べれば簡単に自分に足りないものがわかりますものね。例えば、あの人は〇〇だけど、私にはない。その〇〇に入るのは能力かもしれないし、持ち物かもしれません。ただその時にはなぜか、〇〇ではない自分をダメだと思うことと、欠乏感とがもれなくセットなんですよね。
一方、不快なことは自分の感じ方の問題。自分がどう感じるかってことですから、人と比べようがない分、普段あまり意識もしないかもしれません。だからここの部分をついおろそかにしがちなんですが、自分がどう感じるかに注目することになりますから、自分軸の見方感じ方が精神衛生上非常に良いのです。ついでにこの不快感を減らすよう努めてみると、私は精神的なゆとりを持てるようになりました。
逆に言うと、欠乏感がどれだけ自分を傷つけていたのか、はたまたどれだけ自分で自分にダメ出ししていたのか、その事実に愕然とするのですが、不快感を野放しにしないことは私の場合とても効果がありました。モノの持ち方についてもそうですし、自己肯定感の意味においてもです。
世間の常識に縛られたり、ちょっとした違和感を無視しているうちは、まだその効果に気付きません。自分が不快なことに気付くことは裏を返すと、自分が幸せに感じるポイントに気付くことでもあるからだと思います。
この話はちょっとわかりにくいかもしれないので、私の具体例をあげてみます。
私の場合は、まず家事をするのは最低限にすることにしました。どうしたら出来るだけ家事をやらずに済むか、効率的にどう手を抜いたらいいかを考えるようになりました。その上で、特に嫌いな週末の食事作りをやめて、外食することにしたのです。そう決めたことで家事をしないことに対する罪悪感がなくなり、不機嫌になることが激減。不快を避けたことで得た結果です。
一般的に考えたら、主婦が食事を作らないと宣言するなんてとんでもないことかもしれません。が、嫌々家事をしてその後も不機嫌より、多少お金がかかっても気分よくで共に食事を楽しむ方が有意義だと思ったのです。私たちはもういい大人ですし、経済的に自立していますし、世間一般のこうあるべきという価値観に縛られる必要なんてこれっぽっちもありませんから、自分たちが心地よく生活することにお金を使うと明確にしました。私の人生に、優等生の学級委員の見張りに置いておく必要はありません。
不機嫌は毒です。世間の常識に縛られたり、ささいなイライラを無視していると、毒は気付かないうちに全身に回って思いがけないところから吹き出してしまいます。
今になって思うのは、私はちょっと自分でも不安になるような買い物の仕方をしていました。もしかしたら買い物依存の手前だったかもしれません。ただ、その買い物の経験がカラーコンサルをしていく上でのファッションの経験値をあげてくれたと思うので無駄とは思いませんが、それでも我ながらちょっと異常でした。多分、毒が回っていたのでしょうね(笑)。
毒にやられないようにする。つまり不快感を放っておかない。
自分にないものを求めて幻想を追いかけるよりむしろ、自分の不快感情をどう対処するか建設的に考えるようにする。
マイナス感情を抱かないと、相対的に幸福感が増すばかりだからです。
以上、私のモノとの付き合い方について、考えたことを書いてみました。
モノについて考え始めると、どうしても生き方について考えることになりますねぇ。。。
毎度のように長文ですが、これでもはしょったつもりです(笑)。言いたいことはもっとあるのですが、ここらへんでやめておきます。
何かのご参考になりましたら、幸いです。
みなさま、長々おつかれさまでーす
今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。
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