愛されているペットは呼び名が多い、らしい?!

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大きな愛とともに。

気になるこの言葉

どのくらい前になるのでしょうか。気になるフレーズを目にしました。

愛されているペットは呼び名が多い。

一言一句同じだったか定かではありませんが、こんな内容でした。
とても強烈な印象が残っているのです。

はいはいはーい!うちの雫にはいっぱい呼び名があるよ〜。
愛されているワンコさんだもの、確かに、そうね。

と激しく同意したので、以前のことなのにやたらと覚えています、この部分だけ。

でも残念ながら、このフレーズ以外全く記憶になし。
何かの文章の一部だったのか、タイトルだったのか、その前後も内容も。
どこで見たのか何で見たのか、これだけ印象が強いのに、なぜ内容を読まなかったのか。
謎です。
管理人の目の端にサッと入ってきて、強烈な印象だけを残し、身分を明かさず、パッと消えていったニクイ奴です。

今回、気になって軽く検索してみたけど、やはり出所がわかりませんでした。すみません。

内容がわからないので、このことについて管理人なりに考えてみました。

とその前に、いわゆるしつけ本には、
家族間でのペットへの愛称は統一しましょう。ペットが混乱する元です。
的なことが書かれていることと思います。
きっとその方がいいのでしょう。
雫を迎える前にしつけ本を熟読していた管理人は、もちろん当初遵守していました。
ところが、ライアンと管理人自身も呼び名がどんどん変わっていったクチなので、雫も例外じゃありませんでした。
しかも、雫も自分のことだとちゃんと認識していたし、今のところ問題がありません。
呼び名を増やすつもりはなくても、増えていってしまう、ということでご理解いただければと思います。
ご家庭それぞれのスタイルがあるのは重々承知しております。
あくまでも、我が家的愛犬との接し方だということです。念のため。

では、参ります。

なぜ、呼び名が増えてしまうのか

我が家の愛犬雫に呼び名が多いのは、昨日お伝えした通り。
我が家を例に考えてみます。

雫の場合、「しずく」と発音しづらいからというのが、まず一点。
でもこれだけじゃないと思うのです。

家族として同じ時間を過ごし同じ経験をした、というのがもう一点。
その証拠に、時間とともに呼び名は変化し、どんどん増えていっているから。

例えば、家族で同じ時に同じテレビを見て過ごしていた。そこに雫もいた。
テレビは時代劇が流れていたとします。
管理人かライアンのどちらかが、何気なく「ちるきちさん」と雫を呼ぶ。
なんとなく雫が反応する。
新しい雫の呼び名として定着。
そこに追加の説明は必要としません。

管理人とライアンは、今度は仏教番組を観ていました。
雫はちょっと離れたところで、寝ている。
「菩薩さま」
雫はえーーーという驚いた顔をします。
こうして次は菩薩さまも、呼び名確定。

家族みんなが同じ時間と経験を共有すると、このようにいとも簡単に新しい呼び名が追加されていきます。
余計な説明が必要ないからではないでしょうか。
お笑いのオチを説明すると、全然面白くないのと一緒です。
アレ?例えがわかりにくいですか?

新しい呼び名が出来る時って、そのきっかけがあると思うのです。
そこに雫が何かしら反応してくれて、もしくは全く反応がないっていうことが、おもしろかったりかわいかったりする。
そのみんなの同じ経験にあえて説明はいらないですよね。

一方、雫が○○で△△だったからそれがおもしろくて、だから新しい呼び名は□□になったから、以後よろしくね。
と言われたところでそれを見ていないわけですから、何がどれだけおもしろかったのか実際のところ、イマイチわかりません。
お笑いと一緒。
その前後の流れとかテンポとかそういう臨場感がないから、オチをいくら説明されてもおもしろさがわからない。(さっきの例え、ここにつながります。)
というわけで、その呼び名は定着しない。

つまり、同じ時間と経験を家族みんなが共有するということは、新しい呼び名が生まれる条件の一つだと思うわけです。

それぞれの愛情表現

もちろん、一緒にいることだけがペットに愛情がある証だなんて言うつもりはありません。
一緒にいたくても、何かしらのご事情で一緒にいることができない方もいらっしゃることでしょう。
ですが、ペットと暮らすことを決意した当初は、一緒にいることを前提にしたはずです。

そもそも、ペットにどれだけ愛情を注いでいるかどうかなんて、誰かと比べることでもないし、結局それぞれのペットさんが幸せであれば、それだけでいいはずで、皆さんのいろんなやり方やカタチがあるのは当然です。

でも、我が家は室内飼いだからでしょうか。
同様に室内飼いのペットさん達もいっぱいいるはずですよね。
私達人間は、自由に外に出て、会いたい人に会ったり、ご飯を食べたりできます。
が、特に室内飼いのペットさん達は寂しい時や怖い時、助けて欲しい時そしてお腹が空いた時、好き勝手に外に出て行って、誰かに会ったりなど出来ない。
基本的にその家族しかそのコに選択肢はなく、その家族だけが頼りです。
ですから、必要な時に手を差し伸べられるように、なるべく一緒の時間を過ごしたいと常々思っております。
そのコの幸せを考えることが、命の責任を持つことで、それが愛情だと管理人は考えているからです。

とはいえ、我々にも事情がありますし、ずっとベッタリ一緒にいることなんて実際のところできません。
ぺットさん達それぞれの個性もあるでしょう。
雫は結構放っておいて欲しいタイプ。普段のお留守番は割と好き。でも寂しくなると、膝の上に乗りに来ます。

そのコの個性に合わせて、バランスを見ながらフォローして、みんなが快適に楽しく幸せに過ごせるのが理想でしょうか。

結論としては…

  • 愛されているかどうかは、ペットさん達が決めること
  • 愛情表現はひとつじゃなくて、いろいろ表現の仕方がある
  • 一緒に過ごすことは愛情表現の一種
  • 一緒に過ごす時間が長いほど、いろいろな呼び名が出来る

つまり…

呼び名の多い少ないが愛されている目安になるわけではないが、
呼び名の多いペットは、家族の会話の中心になるくらいにみんながそのコを想っていることだから、愛されている。

と、管理人は思い至りました。
以上、「愛されているペットは呼び名が多い。」について我が家のフィルターを通した視点でした。

ずっと頭から離れない、このフレーズ。
考えるきっかけをいただき、ありがとうございます。

 

お付き合いいただきありがとうございました。

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2 件のコメント

    • 教えて頂きありがとうございました。
      スウェーデンのことわざでしたか!スウェーデンとのことで思い当たる節があるのですが、元ネタと思われるものは日本の自宅に置いてきてしまったので、確認が出来ず。。。ですが、おかげさまで、スッキリ致しました〜。
      ありがとうございます!!

  • fukuro へ返信する コメントをキャンセル

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